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金大生コラム

裏金大祭をするにあたった経緯と報告[投稿]

2002年11月4日に「裏金大祭」を開催した黒岩さんの手記です。原文ままレイアウトだけ編集して掲載しております。たいへん永らくお待たせしました。

 自分はもともとお祭り好きということもあって大学の学祭というものにすごく期待していました。そして一年生の時サークルで金大祭に出展しましたがそこでひどくがっかりしたのを今でも鮮明に覚えています。外部からはもちろんのこと学生ですら来ない。休みを利用して旅行に行ってしまう始末。残ったのは出展者とわずかに来てくれる人のみ。大学の華やかな学祭とはひどくかけ離れたものでした。ここで決心しました。大学在学中でこの学祭に一石を投じてやろうと思いました。

 そういうものの気持ちだけはあるものの大学というものがでかすぎて2年生のときに挑戦しようと試みましたが挫折しました。学祭を何とかしようという人間があまりに少なく自分の知識経験不足のためだったように思われます。

 2年の秋頃だと思いますが学長交代がありました。そのころ寮の行事でH副学長が来て挨拶で「今の大学には元気が無い。学生にも元気が無い。寮生だけが元気だ。大学を活性化させてくれ。学祭を寮生の手によってもりあげてくれ。」と言われました。自分はその言葉にすごく感動しました。なんとかしてやろうという想いが強まりました。しかし具体的にどうしていこうかと言うビジョンがまったく無かったためにどうすることもできずにずっともやもやとした日々を送りました。

 そして4年の春5月ごろに自治会の金大祭実行委員長になりそうな人と過去に経験した人に会いに行って金大祭をなんとかしようといいました。いままで金大祭を駄目にしている元凶は自治会でまったくやる気が無いからあんな面白くない学祭になるのだと考えていました。ところが話を聞いてみたら自治会は盛り上げようと必死でがんばっていたのです。そして驚いたのが、予算が100万円しかなくてそれはすべてが自治会費でまかなわれているということ、学校側はものでしかくれないということ、不況で協賛金がほとんどとれないということ、そして何より学生が無関心だと言うこと。状況は深刻でした。春の時点ではまったくのお手上げ状態でした。

 夏に海外に旅行に行きふと思いつき4年間かけて考えてきた答えが見つかりました。学祭の問題点を整理してみると
1. 学生の無関心さ
2. 大学の立地条件による市民、街との物質的、精神的な距離
3. 中心となってやる人がいない
4. 予算が無い
となります。これをすべて解決しようとなると自分が中心となって学生にとって興味があること、市民や他大学、高校生が興味ある企画をつくって人を流すしかありません。もちろんお金はかけずにしなければなりません。

そして具体的には

 基本的なコンセプトは現在金沢で活躍されている各分野の人を招いて講演、実演をしてもらう。いろんな分野の人がくればきっとどれか一つくらいは興味があって来る気になるかもしれないとおもいました。

・本当の意味でのオープンキャンパスをしようと考えました。つまり学祭期間にいろんな分野のセミナーや講演会を誰にでもわかるように高校生からお年寄りまで来られるように大学を開放する。
・ 映画や音楽、写真、絵画などの芸術的な企画をする。
・ 街の店をやっている人に来てもらう。
・ 利家とまつについて史学科と協力して歴史的検証をする。
・ まとめとして最後に式典を行い金沢大学が宣言をして締める。

 そんな感じで企画書にまとめて10月の頭に金大祭実行委員に話してそのあとH副学長のところに持っていき話をしました。そして金大祭実行委員長と副学長と自分の3者間でそれについて口約束でしたが承認してもらいました。企画を金大祭に組み入れてもらうと言う形でしたが何せ言い出したのが1ヶ月前だから仕方がありません。

 そしてあらゆる分野の人に出演交渉にあたりました。来てもらうために何度も通いました。ある日ふと行政の人は来てくれないかなと思って金沢市役所に行きました。そのむねを総合案内に話したらなぜか秘書課に通されました。そして課長さんに話したらものの10分で市長の講演を引き受けてくれました。だめもとで飛び込んだら成功したので驚きました。ちょうど市役所の前が県庁だったので今度は知事に依頼してみようとおもって飛び込んだら見事に失敗しました。

 そして次に日、大学に報告しようとするまえに副学長から夜に電話がかかってきて「市長に講演をしてもらうのをやめなさい。」と理由も説明されること無く頭ごなしに言われたのであまりに理不尽で反論しましたがまったく聞く耳をもってもらえませんでした。挙句の果てに「私はその企画を承認していません。勝手に金沢大学の名と私の名を騙って何かするのはやめてください。」と言われました。どうやら市長を一学生が呼んでしまったこと、選挙も近かったため政治的に利用されることが大学側にとって困ることだったのでしょう。

 自分も引かなかったために結果的には大学側と決裂しました。企画を変更せざるを得なくなりました。11月4日に石川県立音楽堂で当初は式典をやるつもりだったので、空いたその場所を使って街で頑張っているストーリートミュージシャンのライブをメインに、金沢を舞台にした自主制作映画と、金工大の写真部の協力で写真展を裏金大祭と名付けてすることにしました。そうすることになったのが10日前。そこから形にするのに時間が無いので苦労しました。すべてが決まったのが3日前の11月1日その日に告知をしました。告知日から当日が近いためあらゆる手段を使いました。インターネット上で金沢大学を扱っているサイトに協力してもらったり、HPを作ったり,ポスターを作って街に貼りに行くのはもちろんのこと、ビラを撒いたり、最終的には織り込みチラシを5000枚印刷して大学と街周辺にまきました。そして北國新聞、FM石川、テレビ金沢に講演依頼を同時に出しました。

 そして当日、予想していたことでしたがやはり客のいりは、いまいちでした。チケットを作って100枚くらいは来てくれそうな人に配りましたが当日来てくれた人は半分以下でした。でもその数と同じくらいどこからか話を聞きつけて来てくれる人はありました。観客数は80人弱でした。最大の原因は告知日が遅かったことにあると思います。普通は告知というのは1ヶ月前です。3日前と言うのはあまりに遅すぎました。

 反省点は山ほどあるものの次に日の北國新聞朝刊にも載ったし,やることに意義があったので自分的には大満足しています。後の話になりますが実は北國新聞だけでなくラジオとTVも後援が取れていたことにはびっくりしました。もっと早ければラジオとTVになっていたかもしれないといってもそれこそ後の祭です。

最終更新: 2002/12/20
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